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2025.01.16
2025.01.26
節分の季節になると、よく耳にする「鬼は外、福は内」という言葉。
これは、鬼を追い出して福を迎えるという日本の伝統行事ですが、ふとこんな疑問が浮かびました。
「鬼は外」と追い出された鬼は、一体どこへ行くのでしょう?
この問いを、子どもたちとの会話の中で投げかけたところ、思いもよらない答えが返ってきました。
小学4年生の男の子は、真剣な顔で考え込み、こう言いました。
「反省して悪いことをしないって決めたら、鬼じゃなくなるんじゃない?」
隣にいた2年生の男の子も、「でも、僕だったらみんなに豆を投げられて『出ていけ』って言われたら泣いちゃう」と心配そう。
その後、5年生の女の子が静かに一言。
「本当はみんな仲良しが一番だよね。」
この言葉をきっかけに、「鬼ってそもそも何?」という話題になりました。
「意地悪」「嘘つき」「約束を守らない」「人の話を聞かない」「自分のことばかり考える」…子どもたちは次々と「鬼」の正体について語り始めました。
その中には、先生や親、大人に対する不満もありました。
「うちの先生、理由も聞かずに怒るよ。」
「親は思い通りにならないとすぐ『スマホ解約する』って脅すの。」
「テストで順位をつけるのもいやだよね。」
そして、コロナ禍で学校に行けなかった経験から、将来の夢を聞かれることへの違和感も語られました。
「大人になれるかどうかも分からないのに、夢なんて聞かれても困るよ。」
この言葉にハッとさせられました。
子どもたちは大人以上に、日常の中で「鬼」と向き合い、悩んでいるのです。
子どもたちとの会話を通じて、私は一つの気づきを得ました。
私たち大人も、自分の都合で「善」と「悪」を作り出しているのではないかということです。
自分にとって都合の悪い存在や行動を「悪」とみなし、それを「鬼」として排除しようとする。
でも、それは実際に外部に存在しているのではなく、私たち自身の心が生み出している幻想に過ぎないのかもしれません。
たとえば、何かを「許せない」と感じるとき、それは相手の問題ではなく、自分自身が許せない感情を抱えているからではないでしょうか?
善悪の境界線を作り、自分を「善」と正当化することで、私たちは心の平安を得ようとします。
しかし、その善悪の判断は固定的なものではなく、時代や状況、立場によって簡単に変わってしまいます。
では、鬼とは一体何なのでしょうか?
それは「恐れ」や「偏見」「嫉妬」そして「分離」の象徴です。
私たちは恐れや不安を外部の何かに投影し、それを「鬼」として切り離そうとします。
しかし本当の鬼は、外ではなく私たちの内側に存在しています。
嫉妬や怒り、許せない思い…
これらが積み重なると、私たち自身が「鬼」のようになってしまうこともあります。
4年生の女の子が言った「本当はみんな仲良しが一番だよね」という言葉には、大きな真理が込められていると思います。
善と悪を分けるのではなく、すべてを受け入れ、調和を目指すこと。
外にいる鬼を追い出すのではなく、自分の内側にある鬼と向き合い、抱きしめてあげること。
それが本当の意味で「福を内に迎える」ことではないでしょうか。
鬼を恐れる必要はありません。
鬼は私たちが成長するための鏡であり、内省のチャンスを与えてくれる存在なのです。
節分はただの行事ではなく、自分自身と向き合い、心の中にある「鬼」を手放す機会だと私は感じます。
善悪を超えてすべての存在を受け入れることができたとき、私たちは本当に平和で調和のとれた世界を作り出せるのではないでしょうか。
鬼を外に追い出すのではなく、内側から解放する。その一歩を今回の節分から踏み出してみませんか。
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